広島カープの選手でイケメンピッチャーといえば!
最近の広島カープはイケメンの若手選手が本当に多いです。
そんな中でも人気のイケメン投手と言えば、福井 優也(ふくい ゆうや)投手です。
福井 優也投手はルックスもさる事ながら投手としての能力も非常に高いです。
本記事では、福井 優也投手の経歴・基本情報をご紹介します。
福井 優也投手の経歴・基本情報
基本情報
2010年ドラフト1位で入団した、右投げ右打ちの投手です。
背番号は「11」。
生年月日:1988年2月8日
身長:178cm
体重:80Kg
出身:岡山県英田郡西粟倉村
入団前
幼少~中学校
小学生のときソフトボールを始めたのをきっかけに、中学校では硬式野球チームに入りピッチャーとして活躍していました。
そんな福井選手ですが、野球だけでなく小学3年から中学3年まで冬になればクロスカントリーに明け暮れ、全国大会に出場したほどの実力者だったようです。
福井選手本人も「夏は野球、冬は雪が降ると練習ができない。冬場はクロスカントリーで鍛えていました。親にも『下半身を鍛えるのに一番いい』と言われましたからね」と答えています。
同郷にはバンクーバーパラリンピック・クロスカントリーで2個の金メダルを獲得した新田佳浩さんがいて、1998年の長野パラリンピックに当時10歳だった福井選手は長野へ応援に駆けつけたそうです。
福井選手が長野に来ていたことを知り、長野県人である私はなぜか嬉しく、そして勝手に親近感を覚えてしまいました・・・。
高校~入団まで
高校は愛媛県済美高校に入学し、1年秋からエースとして活躍しています。
2004年の第76回選抜高等学校野球大会では5試合に登板し、合計705球の熱投。
済美高校を創部2年目での甲子園初出場初優勝に導きました。同年の第86回全国高等学校野球選手権大会でもエースとして活躍し、チームを準優勝に導いています。
この活躍から、2005年の高校生ドラフト会議では読売ジャイアンツに4巡目で指名されています。
ですが、一旦は入団の意思を表明しましたが辞退しました。
その後、早稲田大学への進学を決意したものの推薦入試の締め切りに間に合わず、一般受験も不合格となり1年間の浪人生活を経て、翌年に早稲田大学に入学しました。
同期にはハンカチ王子で日本中に「祐ちゃんフィーバー」を巻き起こした斎藤佑樹投手(現:日本ハムファイターズ)、大石達也(現:西武ライオンズ)がいます。
そして、2010年プロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから1位指名を受けます。
このときカープは福井選手の同期である大石達也投手を1位で指名していましたが、抽選に外れたため福井選手を外れ1位で指名しました。
契約金1億円、年俸1500万円(金額は推定)と言われています。
入団後
プロ1年目の2011年4月17日、巨人戦でプロ入り初登板・初先発。
球団史上8人目となるプロ初先発で初勝利を上げています。
試合後のヒーローインタビューで、勝利の喜びを誰に伝えたいかとの質問に「今日も来てくれている両親に……ありがとうと言いたいです」と答えたことが話題を呼び、『福井優也初先発初勝利記念Tシャツ』が発売されています。
1年目は先発投手として8勝10敗、防御率4.12の成績を残し、新人としては十分な活躍をしましたが、2年目~4年目は成績が振るわず、一時期先発から中継ぎ投手に変更になった時期もありました。
ですが、5年目を迎えた2015年シーズンでは先発として21試合に登板し、9勝6敗、防御率3.56と成績が飛躍的に向上しました。
成績が向上した理由の一つに、ブルペンで投球練習をしていた福井選手を見た、黒田博樹投手から、「お前、ほんまええボール投げるな。投げる球、エグいな」と声をかけられ、メジャーリーグで大活躍していた黒田投手でさえ「先発する時は緊張する」という話を聞き、「あのレベルの投手でもそうなのか」と気持ちが楽になったと語っています。
特徴
綺麗なスピンのかかった伸びのあるストレートを軸に、キレのあるスライダー・カーブ・フォークを武器としています。
マウンド上では、あまり感情を表現しないため「ポーカーフェイス」と言われています。
そしてカープのイケメン投手の代表格です。
福井選手が好きなカープ女子は多いことでしょうね。
管理人から一言
2015年は「福井、復活!!」を印象付ける素晴らしい活躍でしたが、二桁勝利には届きませんでした。
2016年からは投手キャプテンにも指名されています。
福井選手本人も「自分のやることは変わらないが、積極的に声を掛けたりなど、後輩にも目を配っていきたい」コメントしています。
若いカープ投手陣をまとめ、そして自身初の二桁勝利達成を期待しています!!
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